実に久しぶりに絵を買いました。
自分の中でいくつもの偶然が重なりあい、今この絵がわが家にあります。
偶然の一つが無言館。
先月無言館へ行き、窪島誠一郎著の二冊の本を買いました。
その一冊が「無言館ノオト」
無言館のことを知れば知るほど今の日本は彼ら画学生が命をかけて守ろうとした日本になっているのだろうか?と考えさせられます。
著者の窪島氏はこの本の中で、
絵に対する情熱が最も激しく、精神的にも技術的にも成長するはずの青春時代を、野蛮で
残酷な軍隊に押し込められていた。絵を描けないどころか、生死の権さえ握られていた。うら
みは大きい。私は生き残ったが、絵を描きたいと思いながら、戦場で死んだ若者たちは一層
浮かばれない。 (戦後、除隊復員できた生還画家のことば)
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また、これはすでに故人になられた画家だが、何といってもシベリアでの抑留生活をテーマ
に据えた画家として有名なのは香月泰男だ。香月泰男は明治四十四(1911)年山口県大津郡
三隅町に生まれ、川端画学校から東京美術学校にすすみ、若くして国画会への入選を果たした
のち、応召して山口西部第四部隊に入隊、昭和二十年日ソ開戦と同時に瀋陽、黒河をへてソ連
へ移送され、シベリア鉄道でクラスノヤルスク地方の収容所に送られて貨物の積み卸しや森林
伐採作業に従事、その後コモナール収容所、チョイナゴルスク収容所などを転々とし、昭和二十
二年五月、三年間の抑留生活に耐えて舞鶴への引揚船でようやく日本の土をふんだ画家である。
香月は復員後、国画会の中堅会員となって「雨<牛>」「風」「ホロンバイルの落陽」などシ
べリアでの捕虜生活を主題にした作品を次々に発表、その悲嘆と苦悩にみちた独特の画想は、
昭和三十一年からの何回かの渡欧経験によってさらに密度を深めた。とくに昭和三十四年、四
十八歳頃から取り組んだ五十号以上の大作は、そのほとんどがシベリア・シリーズとなり、な
かでも「黒い太陽」「ナホトカ」「列」といった秀作には、いわゆる香月哀歌といってもよい
戦場世界の孤独と絶望がきざまれていて多くの現代人の共感を得た。昭和四十九年、六十二歳の
生涯をとじるまで、その画作には一貫して「シベリア」の極寒をあらわす乳白色と黒、それに
抗うかのような真っ赤な色彩がぬりこまれていてやるせない。それは香月が、終生の画業を
通して現世に伝えようとした「戦争」と「人間」とのリアルな関係であり現実であったといっ
ていいだろう。
そんな香月にも自らの絵画とシベリア体験について書いた数多くの文章がのこされているが、
そのなかにつぎのような印象的な言葉がある。
「シベリアと日本、戦争と戦後、考えれば考えるほど私にはまだどこかちぐはぐで、しっくり
しない部分が残っている。そこのところを埋めたいがために私は絵を描きつづける。それがシベ
リアを体験させられた絵描きに与えられた使命だとも思うからである・・・」
終戦から幾星霜をへた今日にいたっても、画家たちの画布にしみこんだ硝煙のにおいは消え
ていないのだ。
偶然のその二は娘がシベリア抑留者に関する仕事をしていること。
香月泰男に焦点をあてた展示会を開催したことがあるためです。
偶然その三は、無理すれば買える値段でオークションに出されていたこの作品を見つけたこと。
いまわが家で「希望のうすあかり」を灯しています。
posted by オンシュガー at 16:18|
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木の国から U
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