2024年09月21日

無言館 一枚の絵から

  あと5分、あと10分、この絵を描きつづけていたい。外では出征兵士を送る日の丸の小旗が

 ふられていた。生きて帰ってきたら、必ずこの絵の続きを描くから…。安典は、モデルをつとめ

 てくれた恋人にそう言い残して戦地に発(た)った。


  東京美術学校(現東京芸術大)を繰り上げ卒業し1942年4月に応召した日高安典さんはフィ

 リピン・ルソン島で45年4月に戦死した。享年27。在学中に描いた最後の作品だという。



     この絵にはサインがない。それは続きが描けなかったから。



Youtube  「あの夏のまま」を是非ご覧ください。

  → https://www.youtube.com/watch?v=jhqxDehukmY



この絵の前に立つと、いつも涙が流れる。今の平和をかみしめる。



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2024年09月18日

無言館 ふたたび

先月22日に無言館へはじめてきました。
その後、もう少し下調べが進みましたので、もう一度。

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     この人たちの無念の思いを私はどう活かせるのかを考える日となりました。




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2024年09月17日

八方池へのハイキング

急に思い立ち、白馬村へ。

9月17日(火)    天候 くもり

概略ルート
    
        前夜は白馬村のペンション悠々舎で泊まり、八方尾根の駐車場へ移動。
   ゴンドラとリフト二本を使って八方池山荘へ。



ゴンドラの終点、兎平。標高1400m              はじめのリフトで黒菱平へ、ここでコーヒータイム


10:40 2本目のリフト終点、八方池山荘へ。

      ここから歩き始めます。

      安全のため木道ルートを使います。


      すぐにお目当てのウメバチソウが。
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登山道脇にいっぱい出てきます

      キンコウカもあちらこちらに。
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11:55 ゆっくり歩き、八方ケルンに到着。

残念ながら展望なし                   すぐ横にはナナカマドがすでに赤くなっていました


     ケルンから10分ほどで八方池に着きます。

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       ガスはなかなか晴れません。
      ゆっくり昼ごはんを食べながら雲の切れるのを待ちますが、、、。

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      12:55 あきらめて下山にかかります。

13:05 第三ケルンへ。
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本日の最高地点

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山座同定板で景色を想像するのみ


        帰りも木道ルートを使い、

14:00 リフトトップへ。

      あとはゴンドラ、アダムで下界へ。






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2024年09月12日

シベリアで見た希望か? 香月泰男のタンポポ

実に久しぶりに絵を買いました。

自分の中でいくつもの偶然が重なりあい、今この絵がわが家にあります。

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偶然の一つが無言館。
先月無言館へ行き、窪島誠一郎著の二冊の本を買いました。
その一冊が「無言館ノオト」 
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集英社新書 2001年刊

無言館のことを知れば知るほど今の日本は彼ら画学生が命をかけて守ろうとした日本になっているのだろうか?と考えさせられます。

著者の窪島氏はこの本の中で、

  絵に対する情熱が最も激しく、精神的にも技術的にも成長するはずの青春時代を、野蛮で
 残酷な軍隊に押し込められていた。絵を描けないどころか、生死の権さえ握られていた。うら
 みは大きい。私は生き残ったが、絵を描きたいと思いながら、戦場で死んだ若者たちは一層
 浮かばれない。        (戦後、除隊復員できた生還画家のことば)
                    
       --------------------------------------------------------

  また、これはすでに故人になられた画家だが、何といってもシベリアでの抑留生活をテーマ
 に据えた画家として有名なのは香月泰男だ。香月泰男は明治四十四(1911)年山口県大津郡
 三隅町に生まれ、川端画学校から東京美術学校にすすみ、若くして国画会への入選を果たした
 のち、応召して山口西部第四部隊に入隊、昭和二十年日ソ開戦と同時に瀋陽、黒河をへてソ連
 へ移送され、シベリア鉄道でクラスノヤルスク地方の収容所に送られて貨物の積み卸しや森林 
 伐採作業に従事、その後コモナール収容所、チョイナゴルスク収容所などを転々とし、昭和二十
 二年五月、三年間の抑留生活に耐えて舞鶴への引揚船でようやく日本の土をふんだ画家である。
 香月は復員後、国画会の中堅会員となって「雨<牛>」「風」「ホロンバイルの落陽」などシ 
 べリアでの捕虜生活を主題にした作品を次々に発表、その悲嘆と苦悩にみちた独特の画想は、
 昭和三十一年からの何回かの渡欧経験によってさらに密度を深めた。とくに昭和三十四年、四
 十八歳頃から取り組んだ五十号以上の大作は、そのほとんどがシベリア・シリーズとなり、な
 かでも「黒い太陽」「ナホトカ」「列」といった秀作には、いわゆる香月哀歌といってもよい
 戦場世界の孤独と絶望がきざまれていて多くの現代人の共感を得た。昭和四十九年、六十二歳の
 生涯をとじるまで、その画作には一貫して「シベリア」の極寒をあらわす乳白色と黒、それに
 抗うかのような真っ赤な色彩がぬりこまれていてやるせない。それは香月が、終生の画業を
 通して現世に伝えようとした「戦争」と「人間」とのリアルな関係であり現実であったといっ
 ていいだろう。
  そんな香月にも自らの絵画とシベリア体験について書いた数多くの文章がのこされているが、
 そのなかにつぎのような印象的な言葉がある。

  「シベリアと日本、戦争と戦後、考えれば考えるほど私にはまだどこかちぐはぐで、しっくり
 しない部分が残っている。そこのところを埋めたいがために私は絵を描きつづける。それがシベ
 リアを体験させられた絵描きに与えられた使命だとも思うからである・・・」

  終戦から幾星霜をへた今日にいたっても、画家たちの画布にしみこんだ硝煙のにおいは消え 
 ていないのだ。


偶然のその二は娘がシベリア抑留者に関する仕事をしていること。
香月泰男に焦点をあてた展示会を開催したことがあるためです。


偶然その三は、無理すれば買える値段でオークションに出されていたこの作品を見つけたこと。


いまわが家で「希望のうすあかり」を灯しています。








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2024年08月22日

無言館にて

信州上田市にある無言館。
長いこと行きたいと願っていました。


たくさんの才能ある人たちが歴史に翻弄され、思いを遂げることができませんでした。

無言であるからこそ戦いを進めた愚かな国の指導者を糾弾しています。
なぜ、もっと早く戦いを終わらせる決断をしなかったのか、と。

遺された絵画だけでなく、展示されている遺品のなかにも心打つものがたくさん。




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石のパレットは亡くなった画家の墓銘碑

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無言館を設立された窪島誠一郎氏の思いをこちらでご覧ください。





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